The Art from Hokkaido by SHIRAKAWA Hiromichi

Japanese artist's gallery and diary

静屋通りの月極駐車場から

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北海道小樽市稲穂4丁目5番 / 4-5, Inaho, Otaru-shi, Hokkaido

 

敢えてこういう日常のどうでもいい場所に立ち、
どうでもいいモノを切り撮ってみる。 

改めて見返した時、そんなカットが案外面白い絵だったりする…ことがある。

写真というものは、けっして自分からずっと遠くに離れた場所にあるのではなく、案外近くにゴロゴロ転がっていたりする。それを感じ、見抜き、気付くことができるのか… 。写真を撮っている時いつの間にか自分が写真というものに試されているように感じることがある。

 

竜宮通りのオブジェ ~ 仲谷工業

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北海道小樽市色内2丁目4番 /2-4, Ironai, Otaru-shi, Hokkaido


 雪や雨、海風に少しずつ風化して行く壁面のシミや錆などには、この街がまさにここに存在してきた時間が刻まれている。小樽の人でこういうものは古くて汚い、見窄らしい場所だという人がいるがここまで来ると野外展示された抽象彫刻作品のようにも見える。撮り手のセンスや腕にもよるが、印刷物や写真に変換された瞬間それらは〝 美 〟に変容することがある。
 写真の主流がデジタルになった今、『写真を焼く』とか『紙焼きする』という言葉は使わない時代になったが、写真というものが『光で時間を永遠に焼きつける芸術』というのはこれからも不変なんだろう。

 

『 勝負はこの一撃で決まる!』~ 日本代表は真の〝 侍SAMURAI 〟になれるか?

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  タイトルの言葉は言わずと知れた日本映画の名作、黒澤明監督『七人の侍』の中のセリフである。ある村を野武士から守るために雇われた侍のリーダー、志村喬演ずる〝 勘兵衛 〟が最後の決戦の日の朝に雨が降る中、村を守る侍や村人達に言い放ったシーン。この映画の中で私が一番好きなシーンだ。いつ見ても背中がゾクゾク痺れて目頭まで熱くなるのは私だけだろうか。組織を率いるリーダーには力強い言葉が必要だ。優れたリーダーには優れた言葉がある。感動できる言葉がある。言葉は人の心を変えるのだ。人々はその言葉を待っている。
 残り13騎になった野武士を砦と化した村の中に入れ、中と後ろから挟み撃ちにして仕留める作戦。多くの犠牲者を出しながらも泥にまみれながら死闘を繰り広げ、最後に村人達は勝利を収める。 

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   最後の決戦の日は雨だった…。
   雨と、泥と、汗と、血と、
   勝利か!  死か!
   雌雄を決する凄惨なクライマックス!

 「映画の予告篇より抜粋」

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 10月9日水曜、スコットランドはプラン通りにレギュラーのメンバーを温存しながらもボーナスポイントを獲得してサモアに勝利した。相手も準備万端で13日の日曜日の日本戦に臨む。決勝トーナメントに進むため100%剥き出しの力を日本にぶつけてくる。あの怒涛の攻撃を日本は防げるのだろうか。おまけに今日本には超大型の台風19号が接近中である。もしかすると、雨の中で泥まみれの死闘になるかもしれない。それじゃまるで映画と同じじゃないか…。日曜日は日本代表が真の侍になる事ができるのかが試される日になる。日本のラグビー史上、後世に語られる重要な1戦になるのかもしれない。私も俄かファンの一人だが日本の勝利を祈っている。

 

例の、神戸の、学校の会見か…。

 まぁ本日もいつもごとくネットにアクセスして彷徨うわけだが…すぐさまその容貌に目がいった。「なんだこりゃ。」と同時に「あ〜なるほどねぇ。」と、妙に納得してしまったのだ。
 例の、神戸の、学校の〝 校長 〟の会見である。出てきやがった。いつの間にか夕方に会見をしていたらしい。ラグビーの時間帯を狙ったのか。女の校長なのか。おまけにその姿は全く校長に相応しい風貌ではない。校長らしく見えない事がカッコいいと思い込んでいるのか?「ボッサボッサで顔が隠れてしまうぐらいに伸びた…というか生えた髪、だらしねぇ髪型。なんなんだありゃ。」まるで原始人か鬼婆そのものだ。一般の会社なら即アウトだ。会社の幹部であんな格好してたら絶対許されないだろう。校長だろ。記者会見するんだからもっとビシッと整えて身支度してくるのが人の心情ってもんだろ。テレビカメラも入るのは分かっているんだろうし。『人を見かけで判断してはいけない。』『ネットで人の容姿を中傷してはいけない。』のはよく分かっているつもりだが、この人には自分自身というモノが見えていない。こういう鈍感なメンタリズムの人物が校長だからダメなんだ。神戸はオシャレで綺麗な街のイメージがあった分ギャップがとてつもなく大きかった。
 おまけに耳を疑った40代女の加害教師の言葉。「反抗っしまくって(被害教員の)クラスを潰したれ」と言って被害教師のクラスの児童に煽ったという。現場がリアルに畜生の世界だった事に驚いてしまった。ああいうクソみたいな連中には世間とか国家とか目に見えないもっと大きな力で恐怖に陥れて、もっともっとネットやマスコミに追い詰められて死ぬのが相応しい。
 先生だけでなく被害教員のクラスの子ども達は学校生活の中で何か不利益な扱いをされていなかったのだろうか?
 今回の件で『これはもう〝いじめ〟ではなく傷害だ』という人がいる。確かに私もそれに異論はない。〝いじめ〟という言葉は大人の世界から見ればもの凄く軽い言葉に聞こえてしまう。〝いじめ〟如きで立件までするのか、ということにならないとは言えない。でも今回は敢えて〝いじめ〟という事で立件し法で裁く事に意義があると思う。大人の世界も子供の世界も関係ない。〝いじめ〟は罪に値するというのが世の中や子供達に強いメッセージを送る事ができると私は思うのだが。
 

神戸4教師の教員免許を剥奪せよ

 マスコミもラグビーの勝利に浮かれてあまり取り上げようとしないが、このニュースはあまりに酷いのでひとこと言わせてもらおう。
 教育の畜生界〝 神戸 〟が全国に先駆けてまた大傑作事件をブチ上げてくれた。我らの期待を裏切らない今回のやらかしは小学校の30代教師3人と40代の女性教師一人が20代男性教師をいじめていたという事件だ。その内容は皆さんも報道などで知っていると思うのでココで細々とは書かないが…なんというか世も末だなと。教師が教師をイジメて、子供達にイジメはいけない事だと教えるのか。馬鹿げた話だ。笑わせるな。聞いていて気分が悪くなる。例えるなら警視庁の刑事が非番の日にレイプや銀行強盗、殺人をして楽しむようなものでしょ。元も子もない話である。かつて〝 腐ったミカンの論理 〟という話があったが今回は一個のミカンどころではなく、今度はミカンの箱自体にカビがビッシリ生えている。これではいくら美味しいミカンでも、あっという間に全て腐らしてしまう。こんなミカンの箱はさっさと燃やして捨ててしまうしかない。のだが、加害者の教師は今有給休暇をとらせて休ませているという。処分を検討中だそうだ。随分呑気なものだ。教育界というのはいつもさっさと決められない。自分達の身を守ろうとする傾向が強い。こんなやつらはさっさと教員免許剥奪してしまえばいいんだ。学校側や神戸市教育委員会に自浄能力がないのであれば、さっさと顔と名前をネットに晒してしまえばいい。晒せ。やれ。
 心配なことが二点ある。子供達への影響だ。こういう奴らだから過去に子供達に盗撮などのセクハラやパワハラがなかったか、いじめが分かっているのに対応しなかったことはないか、特定の生徒だけに贔屓していなかったか、子供と家族の個人情報を転売していないか、しっかり身ぐるみ調べた方がいい。もう一点はこのまま教員免許剥奪されることなく、距離の離れた北海道あたりに来てまたどっかの学校で教えていたなんてことにならないかという事だ。

 所詮こういう卑劣な連中には更正なんかできない。そんなの待っている暇はない。さっさと教育界から追放・排除せよ。

 まず大事なのは加害者が担当するクラスの子供達に今回起こった事を〝親 〟が事実をしっかり説明する事(もう学校側をあてにはできない)だと思う。

 

 

第一大通り 石川源蔵商店

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北海道小樽市稲穂4丁目4番 / 4-4, Inaho, Otaru-shi, Hokkaido

 

 

 ネットで検索してみると、ここは味噌と醤油の醸造元の支店が始まりで、戦後は酒販だけになり(タバコを売っていた形跡もある)コップ酒を飲める酒場でもあったらしい。建物は1937年(昭和12年)にでき、店主も高齢になったということで2014年に123年間続いた店はその歴史の幕を下ろした。小樽では跡取りもできずにもぬけの殻になった古い店舗や家屋を見かける。こういう場所は結局ドンドン壊されてスカスカになるか、真っ黄色のコインパーキングにでもなるのがオチだろう。人口の高齢化、若者の流出、という地方の問題がこういうところに現れてくる。
 よそ者の私から見ると観光で売ってる街なんだし、だからこそこういう場所を残すのが大事だと思う。なんとか生き残る道を探してもらいたいものだが。今で言えば気軽に飲めるバーみたいな場所か…。建物は年季の入った味のある感じだし、小樽には数は減ったが造り酒屋があって余市には世界的に知名度のあるウィスキーがあるから和洋二刀流の今風のバーにできないものかなぁ。