The Art from Hokkaido by SHIRAKAWA Hiromichi

Japanese artist's gallery and diary

例の、神戸の、学校の会見か…。

 まぁ本日もいつもごとくネットにアクセスして彷徨うわけだが…すぐさまその容貌に目がいった。「なんだこりゃ。」と同時に「あ〜なるほどねぇ。」と、妙に納得してしまったのだ。
 例の、神戸の、学校の〝 校長 〟の会見である。出てきやがった。いつの間にか夕方に会見をしていたらしい。ラグビーの時間帯を狙ったのか。女の校長なのか。おまけにその姿は全く校長に相応しい風貌ではない。校長らしく見えない事がカッコいいと思い込んでいるのか?「ボッサボッサで顔が隠れてしまうぐらいに伸びた…というか生えた髪、だらしねぇ髪型。なんなんだありゃ。」まるで原始人か鬼婆そのものだ。一般の会社なら即アウトだ。会社の幹部であんな格好してたら絶対許されないだろう。校長だろ。記者会見するんだからもっとビシッと整えて身支度してくるのが人の心情ってもんだろ。テレビカメラも入るのは分かっているんだろうし。『人を見かけで判断してはいけない。』『ネットで人の容姿を中傷してはいけない。』のはよく分かっているつもりだが、この人には自分自身というモノが見えていない。こういう鈍感なメンタリズムの人物が校長だからダメなんだ。神戸はオシャレで綺麗な街のイメージがあった分ギャップがとてつもなく大きかった。
 おまけに耳を疑った40代女の加害教師の言葉。「反抗っしまくって(被害教員の)クラスを潰したれ」と言って被害教師のクラスの児童に煽ったという。現場がリアルに畜生の世界だった事に驚いてしまった。ああいうクソみたいな連中には世間とか国家とか目に見えないもっと大きな力で恐怖に陥れて、もっともっとネットやマスコミに追い詰められて死ぬのが相応しい。
 先生だけでなく被害教員のクラスの子ども達は学校生活の中で何か不利益な扱いをされていなかったのだろうか?
 今回の件で『これはもう〝いじめ〟ではなく傷害だ』という人がいる。確かに私もそれに異論はない。〝いじめ〟という言葉は大人の世界から見ればもの凄く軽い言葉に聞こえてしまう。〝いじめ〟如きで立件までするのか、ということにならないとは言えない。でも今回は敢えて〝いじめ〟という事で立件し法で裁く事に意義があると思う。大人の世界も子供の世界も関係ない。〝いじめ〟は罪に値するというのが世の中や子供達に強いメッセージを送る事ができると私は思うのだが。