雪や雨、海風に少しずつ風化して行く壁面のシミや錆などには、この街がまさにここに存在してきた時間が刻まれている。小樽の人でこういうものは古くて汚い、見窄らしい場所だという人がいるがここまで来ると野外展示された抽象彫刻作品のようにも見える。撮り手のセンスや腕にもよるが、印刷物や写真に変換された瞬間それらは〝 美 〟に変容することがある。
写真の主流がデジタルになった今、『写真を焼く』とか『紙焼きする』という言葉は使わない時代になったが、写真というものが『光で時間を永遠に焼きつける芸術』というのはこれからも不変なんだろう。