The Art from Hokkaido by SHIRAKAWA Hiromichi

Japanese artist's gallery and diary

8作品が未到着のカラヴァッジョ展

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 只今北海道立近代美術館ではカラヴァッジョ展が開催中である。西洋美術史の中で燦然と輝くイタリア美術においてダビンチ、ミケランジェロラファエロなどと並ぶ偉大なるスター絵師の一人である。今、奇跡の天才と呼ばれるその男の晩年は殺人を犯したあげく流浪の果てに野垂死にという最期を迎えたが、彼の遺した作品は今でもそしてこれからも人々の感情や脳髄を揺さぶるに違いない。感動が一瞬のうちに消えてしまうスポーツとは違い芸術、特に優れた美術の感動はいつの時代になっても現在進行形だ。北海道史上初めて展示されるという事で私は前売り券を購入し、いつ行こうかいつ行こうか楽しみにしていた。
 ところがだ。約2週間くらい前だったと思うが、なんとなく公式サイトにアクセスしてみたら驚いた。開幕から既に1ヶ月が過ぎているにも関わらず、未だ8点の作品が到着していないという。なんて事だ。こんな事ってあるものなのか。数限りなく美術展を見まくって来た私だがこんな事は初めて聞いた。公式サイトによると作品の搬出許可を出すイタリア政府の手続きが遅れているためだという。なんともイターリアらしい話だなぁと思ったが。未着の8点のうち2点はカラヴァッジョの作品である。まるで予約してフルコースの料理食べに来たのにメインディッシュ無かったみたいな感じだろうか。楽しみは後に残しておく性格が肩透かしを喰らわずに済んだわけだが。もう暫く様子を見てから行こうと思っている。が、まさかこのまま閉幕まで到着できなかったなんて事にならないよな…。まさか…ねぇ。

 

また想定外、想定外…。というより想像力が無いのかなぁ…。

 今朝TVで東電の偉い人が言っていた。「想定外といえば想定外ですが…」 台風15号の影響で千葉県の広範囲と関東の一部地域でまだ電気が復旧できないという。偶然にも先日このブログで一年前の北海道全域ブラックアウトの話をしたばかりだが。地震が起きてもいないのに強風だけであんなに沢山の電柱が根元から折れてしまったり、大型の送電線用の鉄塔がよく倒れるもんだなと思った。まだ残暑厳しい関東の地域で電気が止まってしまうというのはホントきついだろうなと想像するが、一年前の北海道と比べてまだ救いがあるのは、金はかかるが停電した地域を逃れて東京や群馬、茨城、埼玉あたりに避難できるという事だ。北海道の場合全域がブラックアウトしたわけだから、もうどうしようもない。
 北電の人も東電の偉い人も「想定外」。ここ近年日本では毎年のような異常気象とともに必ずどこかで大きな災害に見舞われることが当たり前の事となっている。今回は風と雨だったが、3月11日の事もそうだけど正直我々はあんなことが起こるなんて…なんて思うわけだが、専門家の人達が一般市民と同じ感覚では困るんだよ!こういうライフライン関係やもっと大事な日本の外交、安全保障、警察、軍事関係の人達は大丈夫なんだろうか…と心配になってくる。あらゆることに関して事態を想定し対処する準備はできているのか。日々の業務の中で仕事が形骸化し、当たり前になっている事を再確認できなくなり、いつの間にか想像力を働かせることを忘れていないか。日本はもっと想像するべきだ。想像力をつけるべきだ。
 今回の事態を招かない一つの策として電線の地中化があると言っていたが、そこで想像してみた。これから自動車も電動化し自動化の流れが進んでいくと思うが、もし大雨や津波が来て地域が水没した時、地中化した電線や大量の車と共に地域ごと大感電して一瞬のうちに大勢の人が感電死することはないのだろうか?

第一大通りから裏の路地へ

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北海道小樽市稲穂3丁目 / Inaho, Otaru-shi, Hokkaido

 

 小樽の街を歩いていると、ふと見つけた路地裏の狭い道に入りたくなる。結局何もなかったり、思いがけないものに出会ったり、見つけたり。そこが街をスナップする時の面白さであり醍醐味でもある。
 私はよそ行きのキレイキレイなナントカ映え写真には興味が無いし、そんなものには写真としての魅力を感じない。目指すは何でもない今そこにある小樽の日常とそこで生活を営んでいる人々の姿である。でもそれは決して永遠には存在しない。時を経ながら少しづつ失われていく。写真というものはそれを永遠に閉じ込める力を持っている。

 

2018年(平成30年)9月6日 午前3時7分 北海道胆振東部地震/あの悪夢から一年

 あの時、一瞬の内に目が覚めたのをよく覚えている。グラっと大きく揺れる直前のまさに今動き始めるか、始まる前の瞬間だ。『来たっ』と感応した。これはヤバイかもと思ったのと同時に瞬時に反応できた人間の体はなんて凄いんだと呑気に考えていた。マグニチュード6.7、札幌では震度5の地震で、幸運にも我が家では何も倒れず私自身もケガなく済んでくれたが、道内全域で所謂ブラックアウトになった。札幌だけではない。全道だ。これじゃどこにも逃げ場はない。ジタバタしてもしょうがなく朝まで起きているしかなかった。電気はダメ水道もダメ。ガスは使うことができた。適当に調理するぐらいならできる。TVはダメ。頼れるのはラジオの情報だけだった。夜が明けて日中はさほどでもなかったが、夕方ぐらいに早めの晩御飯を食べ夜になってからどうしようかと思った。蝋燭もあるにはあるが暗い中それに火をつけて無理に時間を潰すのも意味がないと思い7時か8時くらいには床に入って寝てしまった。早く寝すぎたせいで真夜中あたりに目が覚めた。通りの街灯も信号機も灯いていない闇の中、明日はどうなるんだろうと考えた。まるでこの世界に自分しか存在していないのではと一瞬錯覚してしまうほど周りは静かで声ひとつ聞こえてこない。でも実際はあの沢山の窓の中にはジッと人々が息を潜めて生きているはずなのだ。でもこういう感覚を経験できたのは貴重な経験だったかもしれないと今になって思う。時折走ってくる車のヘッドライトの閃光が一瞬だけ周りの建物を照らして行く。都心だけ光が煌々としていたのが印象的で違和感を感じた。ちょうど昨年は北海道150周年(同じく明治維新から150年)という記念すべき年で、まさかこういう事が起きるとは。北海道にとっては歴史的出来事だった。記念にとシャッター切っていた6日の夜で7日午前1時半前、突然TVがついた。電気が復旧した(地域や場所で差があったようだ)。蛇口から水が吹き出してきた。あの時、全身から息が抜けるようにホッとした。
 北電はメディアの質問に想定外のことが起こったというが、そもそもその想定自体に甘さがあったんじゃなかったか? だって北海道全部だよ。全域ブラックアウトって、なんかおかしくないか? 苫東とその周辺やられただけで全部やられるのかよ。あまりに脆弱すぎだろ!素人じゃないんだからさ。
 正直札幌という街は震災には縁がないものと思っていたが、ついに私もこの歳になって俄か被災者になってしまった。とりあえずあの時は1日ぐらいでなんとかなり、1週間後にはいつもの生活に戻った(震度7に見舞われた東部の方は大変な被害を被り、今なお先の見通しが立たない方がいる)。でもそれと比べて街がメチャメチャに破壊され、超長期間インフラが止まり毎夜やってくる不安と避難生活を強いられた東北や熊本の人達の計り知れない苦労は途轍もないものだったろうと、ちょうど一年前の今日私は身にしみるほどによく分かったのである。

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2018年(平成30年)9月7日(金) 午前1時半頃、闇の中で煌々と輝いていた札幌都心部