12月16日………今から250年前の今日、その男が生まれたと日とされている。
不撓不屈の大芸術家である。
音楽家の命とも言える “聴覚” が衰えた中、
作品を作り続けたエピソードは有名。
そしてその死後も後世の芸術家に多大な影響を及ぼし、
200年ほどたった今でも作品は生き続け
更に国境や人種を超えて多くの人達を感動させる。
もし今年、コロナウィルスのパンデミックが無ければもっともっともっと彼の作品はメディアには取り上げられ、数多く来日していたであろう海外のオーケストラのコンサートでも演奏曲の中に彼の曲が選ばれていたに違いない。それが全部、全て台無しになった………今年のコロナウィルスの影響がどれほど大きかったかということだ。そんな苦しく困難な時代に我々は生きている。彼も音楽家でありながら耳が聞こえなくなるという、絶望と恐怖を味わった。若い頃書いた遺書も残っている。しかしどういう心境の変化なのかはわからないが、その後全てを受け入れ亡くなるまで創作活動を続けて多くの作品を残していった。
この機会にベートーベンに触れてみようか…でもどれを聴いたら良いのか…店頭に行ったりもしくはネットを漁り始めると、各演奏家、オーケストラ、指揮者など、訳が分からなくなるほど、あの録音の膨大な量を目の当たりにして、たじろいでしまう人も少なくないだろう。やっぱりや~めた…なんて諦める人もいるに違いない。でもいちいちCDやレコード買わなくてもYouTubeですぐ、しかも無料で簡単にチェックできるわけだからホント便利な世の中になったものだなとつくずく思う。だからこの機会にぜひ触れてみてほしいと思います。やっぱりいいですよ。私も彼の全ての作品を聴き込んだわけではないけれど、せっかくの機会なので今日は私の独断と偏見でオススメ3曲挙げたいと思います。第九とか交響曲は誰しも文句なく選ぶと思うので私なりに、短かめで聴きやすいものを選んでみました。
その1『大フーガ(オーケストラ版)』
" Grosse Fuge, Op.133 " Version for String Orchestra
交響曲同様、彼の生涯のライフワークとしていたものに弦楽四重奏曲があります。曲には必ず曲番がついているのですが(交響曲の“第九”みたいに)、その中に曲番のない “ 大フーガ ” というのがあります。もともとは弦楽四重奏曲第13番に組み込まれていた曲でしたが完成の後、独立した一つの曲になりました。弦楽四重奏曲ですから小編成で奏でられる曲なのですが、この “ オーケストラ版 ” というところが “ ミソ ” です。音が厚みと迫力を増し元の音楽から表情は一変します。かれこれ20年前くらいにFMの番組で初めて聴いた時衝撃を受け、すぐお店に駆けつけ手に入れました。聴きようによってはまるで現代音楽のようにも聞こえます。第7交響曲の疾走感が好きな方はきっと気に入ってくれるでしょう。交響曲とは違って演奏会で “ オーケストラ版 ” が取り上げられる機会は滅多になく、それ故録音も限られてますが私の中ではベートーベンの隠れた名曲だと思っています。
取り上げた盤は20世紀の巨匠フルトヴェングラーが1952年にベルリンフィルを指揮したものです。録音は確かにかなり古いのですが、他の演奏と聴き比べても私の中ではこれに勝るものはないと思っています。
残り2つも交響曲とかじゃありませんが曲の一部がCMや映像作品で使われていたような記憶があります。
その2 序曲『コリオラン』
" Coriolan Overture, Op.62 "
さすが俺たちの “ クナ ”。ドイツものを振らせれば天下一品。いつも俺たちを裏切らない。
その3 『弦楽四重奏曲第16番(オーケストラ版)』
" String Quartet No.16 in F Major, Op.135 " Version for String Orchestra
これも『大フーガ』同様、弦楽四重奏曲のオーケストラ版になります。“ 音楽家 ”ではないのでうまく表現・説明できませんが…“絶望”を乗り切り辿り着いた答えというか境地というのでしょうか、第3楽章はとても美しく涙モノです。ベートーベン晩年の作曲であり、取り上げた盤は指揮者のレナード・バーンスタインが亡くなる前年のウィーンフィルとの録音です。そういうのもどこかで影響しているのかもしれません。彼ほどの指揮者だと、もうそういうのがのり移っちゃうんでしょうね曲に。
世の中コロナの話ばかり、
ブログでは食いモノの話ばかりで、
こういったコトに光が当たらない嫌な一年になってしまいました。
芸術家の端くれとして、せめてコロナに抗うための一つの行為として
微力ながらここに書き残しておこうと思いました。