The Art from Hokkaido by SHIRAKAWA Hiromichi

Japanese artist's gallery and diary

壮大なる〝 実 験 〟

 

たしか10年か15年前…いや、もっと前だったろうか……うる覚えだが

インタビューで〝 かの人 〟がこんな事を言っていたのが印象に残っている。

 

『 ……自分のやっていること(音楽活動)はまさに実験である…… 』と。

 

実 験…… 。

つまり東洋人が西洋の音楽を真に理解し奏でることができるのかという…。

 

 

1959年初めて海を渡ってから65年。

しかしながら先日その壮大なる〝 実験 〟にピリオドが打たれた。

小澤征爾  88年の激動の人生だった。

88…無限がふたつ…どこか意味深で芸術的なるものを覚えるのは私だけか?

 

〝 実験 〟結果は言うまでもない。

今では世界の著名な音楽コンクールで日本人に限らずアジアの演奏家が入賞し

海外のレーベルからレコードやCDを出し演奏会が開かれ

世界中のオーケストラの中にチラホラとアジア系の顔を見かけ

日本人の指揮者やコンサートマスターがオーケストラをリードする…。

なんてことは珍しくもない時代となった事が全てを物語っている。

 

でもある日突然こんな状況ができたわけじゃない。

そんなこと出来るわけない、考えもしない、

そういう時代に無謀にも最初に飛び込んだ人達がいた。

アッチの人から見ればクラシックとは無縁の世界の……おまけに

〝 敗戦国 〟という烙印の黄色い奴が指揮者になるなどと… 。

戦後14年、人によってはまだ戦禍の記憶が生々しく残っていたはずの時代に

初めてこの人は無謀な海に飛び込んだ。

(当時日本人の国際的な立場は地に堕ちていた。我々が目にすることのない場での数え切れないほどの苦労は想像に難くない)

カラヤンバーンスタインシャルル・ミュンシュなど

今や伝説の巨匠と呼ばれている人達の仕事を間近で学んで

超一流の演奏家達に受け入れられながら最高峰の舞台で仕事を遺した。

あの真っ白な世界で一人の日本人があれだけ堂々と活躍する様は

ある意味神がかり的であったしあれを見た多くの国民が誇らしく思えたはずだ。

まさにああいう頼もしい人がいたからこそ今の状況ができた。

 

明治維新…色褪せた朝鮮や中国の文化を学んできたそれまでの時代に見切りをつけ

西欧の文明を貪欲に取り込み世界へ果敢に挑戦し敗戦を経験した後

更に西欧を横目で見ながらも自らを模索し再び果敢に挑戦してきた日本の文化だが

まさにその歩みと同じままに生きていたような人だった。

 

謹んでお悔やみ申し上げます…。

と同時に数多くの名演と活躍するその姿を見せてくれた事に感謝の意を表します。

 

 

 

◾️追記……小澤氏についていつも不思議だなと思っていたことがある。確かボストン響やサイトウキネンではベートーベンやマーラーの録音がリリースされているのにドイツグラモフォンからベルリンフィルウィーンフィルとの演奏でそういったレパートリーがいつまで経っても出て来ないのは何故なのか。音楽祭や定期演奏会などで演奏し必ず録音も残っているはずだと思うのだが。本人の意向なのか……?…… それとも …… 。