The Art from Hokkaido by SHIRAKAWA Hiromichi

Japanese artist's gallery and diary

新年の挨拶2024 【貌花 KAOBANA#29】 創 造

 

 

 

 

創造とは…突き詰めて言えば

 

世の中の〝 モノ 〟や〝 コト 〟に

 

新たな〝 価値 〟を見い出す事で得られるのではないかと思う。

 

それらは我々の生活から遥か遠くにあるモノより

 

〝 平凡な日常 〟や〝 当たり前 〟や〝 常識 〟のように

 

我々の生活から近ければ近いほどそれを見い出すのは難しくなり

 

作り手の感性や才能が大きく問われることになる。

 

 

 

 

 


確かに時間とか体力とか手間とか金は掛かるが

 

遥か遠くまで誰も見た事のない〝 モノ 〟や〝 コト 〟を見つけるのは

 

言い過ぎかもしれないが努力をすれば誰にでもできることだ。

 

時間、体力、手間、金なんかより独自の〝 美 〟意識とか天性の才能は

 

誰にでも存在するわけではなく遥かに尊い

 

故に自分自身という存在から近い場所で〝 美 〟を見い出せる芸術家の方が

 

遥かに優れた芸術家と言えるのではないか。

 

いちいち遠くまで行かないと〝 美 〟を見い出すことも

 

日本人としてのアイデンティティーに気付くことも出来ない人は

 

イマジネーション無き劣った芸術家だと思う。

 

 

 

 

 

例えば嘗てピカソは人の〝 モノの見方 〟という根源的なものを

 

従来の作品とは違う形で問うたわけだし

 

描かれている多くのモティーフは

 

家族とか愛人とか友人知人、テーブルの上に載った食べ物やモノである。

 

 

それから近年日本での人気を不動のものにした感のある

 

オランダのヨハネス・フェルメールという画家は

 

故郷のデルフトを殆ど出る事のない生涯だった。

 

だから彼の作品は主にデルフトの風景だったり

 

自分のアトリエ(?)か自宅の書斎のような空間に人物を配し

 

観る者に何か描かれた人物達の物語を想起させる

 

まるで映画のワンシーンのような作品だ。

 

それらは全て彼の平凡な〝 日常 〟と彼の中のイマジネーションが

 

合体し構築された世界である。

 

 

さらに日本映画界の名匠 小津安二郎 監督。

 

昨年2023年が生誕120年だったにも関わらず今一つ盛り上がりに欠けたが

 

昨年は監督が亡くなってからちょうど60年の節目でもあった。

 

独特なカメラアングルでどこの家庭にでもあったような

 

〝 平凡な日常 〟で繰り広げられる市井の人々の心情を切り取った。

 

世界から見れば日本の〝 日常 〟という非常にローカルなストーリーではあるが

 

いまだに日本よりも世界の映画人からの評価が高いというのは

 

単なるエキゾチシズムだけでは語れない普遍的なものが

 

そんな〝 日常 〟の中にこそ実は強烈に存在するからなのではないか…。

 

 

 

だから私は今後も〝 日常 〟を見つめるという事を決して疎かにせず

 

まずそこから出発し拘りながら創作を続けていこうと思っている。

 

 

 

 

▪️追記▪️

年初から石川県能登地方ではとんでもないことになった。〝 Happy… 〟なんて呑気な事言っていられない方が大勢いるに違いない。とにかく被害が出来るだけ最小限に済むように、死者が出ないように祈っている…。