The Art from Hokkaido by SHIRAKAWA Hiromichi

Japanese artist's gallery and diary

【春麗 #2】NYより札幌のスゴイところは…?




 

 

今回は前置きがとても長くなりそうだ。
結論から先に始めることにしよう。

 

 





 
 

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札幌市 / Sapporo-shi, Hokkaido, JAPAN

 

 

 

唐突だが
札幌とニューヨークを比べてみた。
北緯43度と40度で緯度が同じくらいで
気候もなんと無く似ているところがある。
街としての歴史も浅い。
でもニューヨークは
ロンドンと同様に世界最高水準の都市であるとウィキペディアに記載されている。
かたや札幌という街は日本のローカルな一都市にすぎない。
ヒト、モノ、カネ、そのスケールやレベルにおいて
比べるまでもないのは承知の上だが
でもここで敢えて
NYより札幌のスゴイところは何か?を挙げてみようと考えた。
思い浮かんだその答えが…………。

〝 巨大な自然への入り口が街のほんの目と鼻の先にある 〟ことだと思う。

1時間もかからない、そんな手の届く場所に存在する。
そこに大きな価値があると思う。


ここ数年札幌では
街のド真ん中でエゾ鹿が…、
山や森と住宅地との境界でヒグマが出没する事案が度々起こり
社会問題となっている。
でも見方を換えればそれだけこの街が
自然と背中合わせにあると言える。

 

『 WILDな都会 』札 幌 … 。

 

 

 

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〈 三角山 〉札幌市西区山の手 / Yamanote, Nishi-ku, Sapporo-shi, Hokkaido, JAPAN

 

  

 

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〈 三角山 〉札幌市西区山の手 / Yamanote, Nishi-ku, Sapporo-shi, Hokkaido, JAPAN

 

  

 

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〈 三角山 〉札幌市西区山の手 / Yamanote, Nishi-ku, Sapporo-shi, Hokkaido, JAPAN

 
  

 

先々週の深夜だった。
テレビの音を聴き流しながらブログの更新作業をしていた。
ある番組で
かつてのヒットメーカー、スティングが
様々なジャンルのアーティストとのデュエットアルバムを出すという。
御大ももう70になろうとしているがまだ現役で頑張っている。

アフリカのアーティスト〝 シェラージー 〟とのデュエット曲。
〝 Englishman / African in New York 〟
かつての御大のヒットナンバーが形を変えて復活した。
〝 Englishman in New York 〟はカラオケでも人気があるという
(あちらの話だと思うが)。
EnglishmanのところをJamaicanとかAfricanとかJapaneseとか
様々な国に置き換えて歌えるからだと言っていた。

 


〝 ニューヨーク 〟という場所が今でも芸術家を惹きつける
文化の中心地というのだろうか?
私の印象としては違う。
ことにアートの中心地としての役割はすでに終わっているように思う。
もうなんら新しい芸術的価値観・影響力を及ぼす事は出来ない。
 
印象派が終わりピカソマン・レイそしてフジタが活躍した20世紀初頭のパリから
戦後はその舞台がニューヨークへ移った。
ウォーホルやジャスパージョーンズ、バスキア、キースヘリングなど多くの芸術家を輩出し
20世紀の現代美術を力強く牽引していったが
それももうずいぶん前の話だ。
 
そして20世紀から21世紀への正に世紀の変わり目、
あの9.11のテロが起こったのだ。
倒壊し瓦礫のヤマになったNY貿易センタービルの姿を見て
物質文明の繁栄の脆さ・呆気なさをまざまざと見せつけられた。
周りに聳え立つ摩天楼のシルエットがあそこで亡くなった死者の墓標のようだった。
あれを見た時、「あっ……終わったんだな」と思った。
所謂〝 現代美術 〟というものがあそこで終焉を迎えた。
と同時に、
私はこれからはもっと精神的なもの、永遠性なるものに
人は目を向けて行かなければならないのではと思った。
例えば日本人が古来大和絵日本画で育んできた自然への眼差しや感性のようなものが
これから人間に必要・重要ではないかという思いを強くした。
 
一方でこれからは香港だとか上海などが
アートの中心地としての候補に挙がっていると聞いたことがある。
あんな中国のような専制国家・非人間主義の国家に
文化や芸術などどうして育んでいけるというのだろうか。
私はそんなことを思いつく人達の気が知れない。
確かに〝 カネ 〟は豊富にあるのかもしれないが
ご承知の通り
あの国には表現や言論の自由が無く
あらゆる活動には限界があり人間の可能性を潰してしまう世界だ。
自らの自由な発想で創造していくことなど出来ない。
おまけに平然と違法なコピーやパクリがまかり通る世の中だ。
全ては金儲け。
そんなクソみたいな国家に豊かで優れた真の文化・芸術など育つわけがない。
 
交通やコンピューター、通信・ネットが今後も発達する世の中で
〝 場所性 〟というものはどんどん希薄になり
その重要性が落ちているように思う。
どうしてもニューヨーク、
どうしても上海、
どうしてもシンガポール
どうしてもロンドン
じゃなくてもいい時代である。
これからもその傾向は強くなって行くだろう。
それを考えた時
この日本の北の外れで創作する自分にとって
その意味とか意義、価値や使命をアレコレ考える中で今日のテーマがあった。
(やっとつながった)

 

 

  

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札幌市 / Sapporo-shi, Hokkaido, JAPAN