The Art from Hokkaido by SHIRAKAWA Hiromichi

Japanese artist's gallery and diary

原子力明るい未来のエネルギー

 今、北海道の人口がたった2~3千人の町の町長の行動が全国から注目を浴びている。
 寿都町の片岡春雄町長その人だ。
 町が『核のゴミ』の最終処分場選定に応募への検討している事が判明、報道されて以来、町内はもとより周辺の市や町、漁業関係者などに波紋を呼び起こしている。
 最終処分場選定から確定までには3つの段階があり、全て決まるまでには20年程度の時間が必要になる。選定作業からは途中で離脱もできる。寿都町はまずその第一段階の文献調査への応募を検討しているというのだ。そこへ参加するだけで政府から町へ20億円ほどの補助金が入る。町長は正直にその補助金をあてにしている事も明言している。今は何とかやっていけるが、これからの少子化問題などを考えればこの町の将来のために今、大きな決断をするのが町長としての使命だと自分自身に思い込んでいる様子だった。町長にマイナス思考は一切ない。もしこういう事になったら…なんて事は考えもしない。全てプラス思考だ。大臣や政府からの説明の言葉を真に受け、自分の考えやイメージに確信を持っている。
 しかし『核のゴミ』を道外から持ち込む事に知事は反対している。周辺の市や町、漁業関係者などからは反対意見が多い。そりゃそうだろう。たった2~3千人の生活と飲食店のために〝 高レベル放射性廃棄物 〟という長大で巨大な化け物を連れてくるんだから。何だか釣り合わないというかアンバランスだ。私からすると町長の〝 想像力 〟があまりにも貧弱に思える。
 さらに今回の件に影響されたのか、北海道の神恵内(かもえない)村からも文献調査への応募に手を上げるという話が出てきた。20億円の補助金という餌に釣られて文献調査だけならと言い始めるお人好しが出始めたのだ。
 過疎だから核のゴミ持ってくるという発想が…やっぱり短絡的でアンバランスだと思えて仕方ない。ご承知の通り補助金は全国から徴収された国民の血税である。文献調査だけやって貰うもん貰って、やっぱりやめますなんてそんな美味い話通用するんだろうか?そんな事考える暇があったら何か新しい産業を起こしたり、新しい特産物を作り出して今まで無かったような新しい価値を見い出すよう、もっと汗水流したらどうなんだ。
 現実には口から出てくるのはいつも地方は苦しいという愚痴だけだ。それはまさに地方の敗北を意味する。町長がどんな言い訳をしたって町の力不足と怠慢としか言いようがない。結局崖っぷちに晒されて生き残る道を模索できなくなると安易な方に走り出す。情けないと言うしかない。地方の、田舎モンの創造性の無さ、虚しい現実を露呈する。どんな規模の小さい町や村でも時に政治は創造力が試される。
 個人的に言わせて貰えば、補助金がなければやっていけないような町や村はさっさと潰したほうがいいと思う。役目を終えたという事だよ。賞味期限が切れたんだから、もうさっさとやめたほうがいいよ。金がもったない。

 という批判的な意見の一方でこんなことも考えたりする。
 昭和から平成へ…我々は皮肉にもこの原子力の世話になって国を発展させ生きてきた現実があり、それに伴った責任がある。いつまでも放っておくことの出来ない問題だ。いつかは何処かに最終処分場を決めないといけない。片岡春雄町長の行動や言動を全て〝 悪 〟と決め付けるのもなんかチョット違う気もする。
 片岡町長の口からは「この国のため…」という言葉もあった。だったらどうだろう、思い切って勇気を出して自分の代でこの町を廃町して土地の全てを最終処分場に提供するというのはどうだ?これから20年以上かけてバカみたいに多額の血税を使わなくて済むし、廃町すれば周囲の町村から指を刺されることもない。これこそ国家国民のためになる英断だったと町長の行動が後世に残るかもしれない。あの町長にそこまでの覚悟はあるのだろうか?………………たぶん………………ないだろうネ。
 もし仮にこの話がドンドン先に進んでしまった時には町長はもうあの世の人だし、結局これから生まれてくる子供達に全ての難題を背負わせてしまうのは容易に想像がつく。

 タイトルの〝 原子力明るい未来のエネルギー 〟というのは福島県双葉郡双葉町の看板に掲げられていた原子力に関しての標語である。応募したのは小学生であった。きっと子供心に漠然とした希望があったに違いない。先日その時の子供がTVに出ていたのをチラッと見たが、もういい歳した大人になっていた。しかしご存知の通りあの町は3.11以来〝 帰宅困難区域 〟となって〝 希望 〟は〝 悪夢 〟に変わってしまった。
 きっと寿都町神恵内村も似たような運命を辿る気がしてならない。