聳え立つビルや街並みが文化を生み出すわけじゃない。
結局その街の文化を創るのは〝 人 〟だ。
ということは…
〝 人 〟を見れば、
なんとなくその街が見えてくる……ということか。
〝 人 が 街 〟であり、
〝 街 は 人 〟である。
聳え立つビルや街並みが文化を生み出すわけじゃない。
結局その街の文化を創るのは〝 人 〟だ。
ということは…
〝 人 〟を見れば、
なんとなくその街が見えてくる……ということか。
〝 人 が 街 〟であり、
〝 街 は 人 〟である。
当たり前のことが当たり前じゃなくなった今…。
退屈で、心のどこかで軽蔑していたあの日々。
再びあの日々を私達は取り戻すことができるのか?
何気兼ねなく街へ出掛け、誰かといられたあの日々を…。
写真は必ずしも遠くにあるものじゃない。
意外とあなたの周りに沢山転がっている。
それに気付けるか、
感動できる自分がそこに存在するか…。
それとも、
気付かずに通り過ぎてしまうのか…。
写真はあなたを試している。
つい数日前ネットの記事に目が止まった。創刊から100年近く経つ老舗雑誌アサヒカメラが休刊するという。私も何度か購入しお世話になったが(全てまだ本棚にしまってあると思う)、雑誌の売上低迷に加え広告収入の激減によるものだという。そういう状況が既にあったところ、更に新コロが最後にそれらの影響に拍車を掛けてしまった。既に広告の世界では紙やテレビ媒体からネット中心に移っているわけだし、もうとっくの昔に雑誌メディアの価値は死んでいる。遅かれ早かれこういう事になってしまうのは目に見えていたと思うが…。
アサヒカメラという紙媒体の雑誌において組まれていた今月号の特集テーマが、〝 デジタル時代に見いだす新たな魅力/今こそ、フィルム! 〟というのは随分皮肉な話だ。休刊を意図したものなのかは分からないが、私にはまるで〝 アナログ 〟の死に際にその口から出てきた虚しい叫び声のように聞こえた。
☆追記
フィルムの方が味わいがあるとか、温もりがあると人は言うが、私が思うに加工せずストレートに写す事だけ考えれば、今では性能の上がったデジタルカメラの方がその色味や写る構造・仕組みにおいて、より人間の目(肉眼)に近付いたリアルな像だと思う。かえってフィルムの方が間接的な構造の故版画の部類に近く、その像は作為的で人工的じゃないかとさえ思える。いいとか悪いとか、という話ではない。そこで写真家というのは、単に自分が望む表現に合わせてそれらを使い分ければいい…と思う。
★おことわり
4月から二ヶ月間〝 花咲く小樽で 〟というテーマの元、コロナウイルス終息を祈りつつ作品を公開してきました。しかしその願いも虚しく北海道は新コロ第二波に見舞われ今に到るのですが、緊急事態宣言解除後なんとなく終息して行くのか、予想通りに第三波がやってくるのか気掛かりなところです。
札幌は最近日中の気温が上がり始め、これから春から初夏へと気持ちのいい6月を迎えます。それに伴い[ 花咲く小樽で ]は今月で終了し、6月からは[6月の札幌 ]というテーマで札幌のスナップ写真の作品を公開していきたいと思います。引き続きアクセスのほどよろしくお願いします。
北海道をくまなく歩いたわけではないが、これだけの敷地にこれだけの規模で路地や小道が沢山通っていてその両脇に小さな飲食店がずらりと並んだような、どこか懐かしい風情のある景色は道内では多分ここだけだと思う。そういう意味でススキのという所は絵にならない。あそこは雑居ビルの殺風景な廊下に店のドアや入り口が並んでいるだけなので、写真を撮る身からするとなんら面白味がない。それだけに花園と言う場所は貴重なところじゃないかと思う。 街の景気の影響もあって空き店舗や駐車場になってしまったり、年々虫食い状態になっていく。オマケに今年のこのありさま。新コロの影響で更に拍車を掛けていないか心配なのだ。
また撮りに行きたくてしょうがない。……… 楽しみだけではない、それ以上に今撮っておかないと、なくなってしまうような気がしてならない。